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2013年6月28日金曜日

民族衝突と自分自身の甘さ (oka01d-fftlnsnulzttoyri)

僕が好きな場所は、どうも特徴がある様だ。それは民族衝突が起こっている場所だということだ。 ウドンタニーにしても潮州とラオの人が混在している街だし、イギリスも多くの場合、アイリッシュか、コックニーとか民族衝突が激しい地域が好きだ。 今僕が居る雲南も、どうも南部のイ族・ダイ族・イスラム系の民族と、北部の漢族とのコラボになっているらしい。それで、ふと考えついたことがある。
※ おかあつは2013年6月21日に中国・昆明に来ました。中国からはbloggerにアクセスすることが出来無い為、この日記は、あらかじめ別に書きためたものを後日中国の国外からアップロードした物です。
こういう民族衝突がある地域に住む人は、2つ以上の視点をコロコロと切り替えながら暮らす必要に駆られる。 よって頑固だと居られない。 こういうところに居ると、人間力が鍛えられる。

さて僕は東京出身だが、東京は、そういう意味で行くと、東北と関西という2つの民族が衝突している場所でもあるような気がする。関西と東北は、全く違う民族だ。この2つは、実に考え方が違う。 こんなに考え方が違うのに、関西と東北は、何がどれ位違うのか、認識すら出来ていないという、恐怖の無視界飛行民族衝突だと僕には思える。

民族衝突を起こしている場所では、そんな全く違う考え方を持った人達の混血が生まれる。こういう人は往々にして、両方の特徴を持って備えている。こういう人達は、両方の考え方を行ったり来たりすることが出来る場合が多い。 だが混ざっていない人は、往々にしてこういう器用さがない。

僕は、3代以上遡ると青森から(推測だが)九州まで親戚が居るらしい。そういう訳で、僕は、日本各地の独特な性格を、幅広く持っているのかも知れない。

で、僕は混血度が低い人が、非常に羨ましい。何をやっても様になるからだ。混血度が高い人は、何をやっても中途半端な様な気がする。 何をやっても「何か変」と言われて、様にならない。

日本が外国とちょっと違うのは、外国だと言語や風貌でパッキリ民族が分かれているのに対して、日本だと、風貌と言語が一致しない人が多く、あまりはっきりと民族がわかれていない。

よって、相手が自分と同じであることを期待してしまいがちなところがある様な気がする。それは、自分もそうだ。自分を含め、相手に自分と同じ事を期待してしまいがちな気がする。

自分が楽勝で出来る事なのに「なんでコイツはこんなに頑固なのか!」「なんでコイツはこんなに不器用なのか!」とイライラしてくる。僕自身非常に不器用な人間なので、何をやるのも必死で努力しなければ、サマにならない。よっていつも努力しているのだが、「なんでこいつらはこんなに不器用なのに努力のかけらも見せないのか」とも思う。「なんでこいつらは、こんなに他人と違うのに、他人に自分と同じ事を求めるのか」などもかなりよく感じる事のひとつだ。

だが、どれもこれも、僕自身が相手に対して自分と同じである事を期待していることから始まっていることなのかも、知れない。



他人を見ていてイライラすることは多い。自分が悪いのに、自分の事を棚に上げて、ひたすらネチネチと他人を攻撃する人が、僕は苦手だ。往々にして僕に対するジェラシーからネチネチと言ってしまいがち、という方々も居る。

こういう人をもっと「そっと」しておいてあげよう。

彼らを鍛えようとするのを辞めよう。これは僕の思いやりと愛情から来る行為なのだが、彼らは往々にしてその強さを持たない。強く鍛えられる前に、壊れてしまう。

彼らを正すのを辞めよう。彼らの間違った論理は、往々にして彼ら自身の心の弱さとも結びついている。ガラスのプライドを必死で守っている場合が多い。これを壊してはいけない。「ガラスのプライド」が自然に溶け、熱くなって変形し、厳しく冷え目的の形に整い、絶対に割れない硬い結晶になるまで、果てしない時間を、じっと見守る必要がある。

挑戦を受けてはいけない。挑戦をして構わないのは、自分より強い人間だけだ。往々にして、自分の実力を知らない人程、自分が到底敵わない敵に挑戦しようとするものだ。本当の実力を持つ人は、怖さを知っているので、みだりに他人に挑戦しないものだ。

  背中で示そう。
  言葉で示してはいけない。
  人は言葉では納得しない。
  人は音楽でのみ納得する。

これが、おかあつの課題である。




※ おかあつはその後、所用の為2013年6月29日にバンコクに戻った。この中国連続日記は、ひとまずここで終わる。